鈴々舎わか馬さんは、一口にいえば、『怖い人』である。
 初対面の時、すでにそう思ったし、今でも、会うと緊張する。人柄はまことに温かだし、芸人さんらしく、にこやかで腰が低く、言葉遣いも丁寧。だけど、とにかく、怖いのだ。
 むしろ、『鋭い』と表現すべきなのかもしれない。世間話をしているうちは何事もないのだが、話題が芸のこと、落語のことに及ぶと、実にきっぱりとものを言い、妥協を許さない。まだお若いのだが、すでに噺家としての自分の世界を確立しているようだ。
『うまや怪談』の原稿をお渡しし、その後、打ち合わせをした時、わか馬さんはこう言った。 「後半が、どうも自分の考えと違うので、もしかすると、変えさせてもらうかもしれません」
 私に向かって、『書き直してくれ』などとは要求してこない。自力で変更する自信があるらしい。ここらが怖い。どこをどう改良してくれるのかが楽しみで、何も言わず、すべてを任せていた。
 そして、落語会当日。ネタ下ろしからわずか三回めとは信じられない、すばらしく完成度の高い『厩火事』を聞きながら、私は内心、後悔していた。わか馬さんが作り出した古典の世界を、続けて口演される予定の私の新作が、すべてぶち壊しにしてしまうと感じたからだ。
 やがて、『厩火事』が終わり、軽妙なマクラを挟んで、『うまや怪談』が始まったが、しばらくして、私は噺の筋立てがまったく違っていることに気づいた。 『百八十度違う』と言ってもいい。とにかく、人物の動く方向が根本的に異なり、しかもそれは、『厩火事』を聞いた時点で、私が本来目指すべきだと考えたのと同じ方向だったのだ。すごい、と思った。
 しかし、途中をがらりと変えてしまったのだから、最後につじつまが合うかどうかがわからない。ハラハラしながら聞いていると、さすがわか馬さん、きちんと整合性を保ちながら見事にサゲまで引っ張り、この日のために選ばれた耳の肥えた観客から、拍手喝采を浴びた。
 当方の惨敗である。その結果は、本を読み、プレゼントに応募すると送られてくるCDを聞いていただけば、歴然としているだろう。わか馬さんはあらゆる手段を駆使し、ミステリー作家も舌を巻く周到な伏線を張ることによって、私の邪悪を企みを阻止し、古典落語の世界を守り抜いた。その実力とセンスのよさには、ただただ敬服するほかない。本当に、『怖い人』だ。
 未来の名人……というより、それほど遠くない将来の名人の高座を見た気がした。小学生時分からの落語オタクの私が言うのだから、決して間違いはない。
 作者として、まるで悔しくないと言えば嘘になるが、現時点では弁解の余地がない。何しろ、大惨敗なのだから。
 だが、この次の機会には、そうはさせない。すでに、次の構想もできている……って、ミステリーではなくて、落語の台本の方だけど。
 来年必ずリベンジするぞと、ここに宣言して、わか馬さんに心から拍手を送りたいと思う。