M  Y  S  T  E  R  Y    L  E  A  G  U  E



旧日本軍の機密に触れ、
失意の死を遂げた流行作家・北斗流星。
また後年、彼の伝記作家は失踪し、
その文書「北斗流星伝説」は長く封印されていたという。
数十年ぶりに解かれた「伝説」にはいかなる「真実」が――。

野崎六助
『風船爆弾を飛ばしそこねた男』

四六判上製本
290頁
1890円(税込)

太平洋戦争末期の日本で極秘裏に開発された風船爆弾。
ジェット気流に乗せてアメリカ本土を襲撃する計画だった。
その計画がなぜか流行作家北斗流星の最新作「富号作戦」として掲載されてしまう。
北斗自身の「手記」によれば「ふと構想が湧いてきた」というのだが、
そのために当局からの圧力で作品はもみ消され、
同時に作家生命も闇に葬られてしまった。
――それを調べ上げた伝記作家は「北斗流星伝説」を封印して謎の失踪を遂げたのだと。
すべての「真相」は「伝説」とともによみがえる。


本文から少しだけ


「じゃよろしくな」
 先輩は助教授の仮面にすっかりもどって言うや、そそくさと去って行った。
 一人取り残されたぼく。戸を閉めるときには静かにお願いしますね。あと数ヵ月でこの地上から消えてなくなる冷え冷えとした書庫――じゃない、研究室にふたたび入る。
 鼻はすでに黴の臭いに慣れはじめている。書類を入れた棺桶を見おろした。棺桶って、これも比喩的な意味。床下に嵌めこまれたコンクリートの箱だ。これ自体におかしなオーラはない。
 ま、とりあえずはざっと眺めてみるか。
 ボイスレコーダーがあれば録音しておくノリで、ぼくは書類を引き出していった。芝居っ気をふるって、日付、時間、場所、自分の名前を声に出す。北斗流星ファイル、作成・蔭山泰道鶴巻綜合文化大学文学部教授。
 とくに狙うでもなくあるクラフト封筒を手に取ってみる。中味はカサがあった。B4の標準タイプ、新しくはないが、古びてもいない。黒のサインペンでタイトルが記されている。これが教授の筆蹟か。のけぞりそうになる少女風丸字だった。丸字でこう書かれていた。

 北斗流星伝説

 ぼくは封筒の中味を取り出した。バインダーでしっかりと固定されている。中を見た。それほど古びていないが、年月は感じさせる。手書き原稿だからだ。手書きといっても原稿用紙ではない。A4の判型にかなりの密度で手書き文字が並んでいる。字体はすでにもう、おなじみの、変体少女丸字だ。いっかい見たら忘れられない。
 タイトルをもういちど見た。見たものをきちんと脳に伝えた。脳が答えを返してくる。これが問題の文書なのね。
 ぼくは第一頁目をひらいてみた。そしてぱらぱらとめくった。それからまた最初の頁にもどってみる。
 その数行が目に止まった。
《シルエットというものは、おおむね人の半顔しか映さない。とくにその半顔が戦争期に関わっている場合、横顔はほとんど真実とはほど遠いことを後代の者は知らされるであろう。》
 何やら格調高い文体が――こねこねとした丸字で書かれている。なんたるアンバランス。腰が引きかけた。この世はやっぱり不公平だ。
 ぼくの名は毛利栄一郎。あ、関係ないか。
 これを家に持ち帰って読むことに決めた。
 戸締まりをしていると――俄然、面白くもない考えが湧き起こってくる。
 学内政治。どんな世界に生きるにしろ人間は社会的動物だ。そして人にはそれぞれ好き嫌いがある。その環の外に超然としていられるわけがない。人は群れるものだし、群れがあればその中での役目も割り振られる。決まった席にうまく着ければよし、でなければひとつの席を争う者が重なってきても不思議はない。だれからも重宝がられる性格を備えた者もいれば、逆に、君子危うきに近寄らずと衆目に煙たがられる人物も必ずいる。
 二十年前に自殺した助手の名前を調べておこう。その他の事情もふくめてだ。ぼくがその後を追うのはごめんだから……。
 昭和初期の遺物みたいに聳える文学部一号校舎、九龍城の一角にひそかに眠っていた北斗流星伝説。
 軍部の禁忌にふれた男だって。
 目の前にもくもくとジャンボ旅客機に体当たりされたワールド・トレード・センター・ビルの映像がたちあがってくる。つい一ヶ月ばかり前の出来事だ。たしかにわれわれは歴史の一瞬に立ち会ってたわけだ。たかがテレビの映像を観ただけなのに、一生忘れられそうもない。
 フリーズドライ加工した炭疽菌を塗った手紙が報道関係に送りつけられて被害者が出たのは、その一週間後だ。ハリウッド映画そこのけのスペクタクルの後は白い粉の恐怖。それ、連続無差別テロの時代がきたと脅かされた。フォート・デトリックの生物化学兵器センターの関与も噂されている。便乗愉快犯なんていうのもぞくぞくと現われてきた。よその国のことさと安閑としていられなくなった。なんせ手紙に致死性の細菌が仕込まれているんだから。小包爆弾を怖がったのは昔のこと。今は細菌の入った封書の郵便物が危ない。
 待てよ。
 フォート・デトリックといえば731部隊につながる場所だ。そもそも炭疽菌ペーパーを世界に先がけて開発したのは戦時中の731部隊だ。そのくらいの知識はあるぞ。風船爆弾の機密って、いったい何なんだ。風船爆弾だけのことならそんなに騒ぐことはない。細菌兵器とセットだから、風船爆弾について語ることがタブーになったんじゃないのか?  炭疽菌テロが六十年に近い歳月をまたぎこして蘇ってきた?  そして封印を破られた北斗流星の文書。呪われた作家の秘密。
 関連がないと思えというほうが無理だ。
 ぼく、ドツボに嵌まったのか。まだ若いのに。