M  Y  S  T  E  R  Y    L  E  A  G  U  E


「ついにやってしまった……」
変態する数学者、暴走する助手──
最凶のバカミスコンビ、降臨!
不可解な事件に数学的思考から
「至高の解答」を導き出した──はずだったのだが、
「真相」は──言えない。

鳥飼否宇

『官能的 四つの狂気』

四六判上製本
280頁
1680
円(税込)

変態する変態助教授・増田米尊の「フィールドワーク」中、
ターゲットの女性が公園のトイレで惨殺される。
「唯一の」目撃者・増田の話が事実だとすれば増田以外に犯人がいなくなってしまうのだが……。
そこへ増田の助手、変態ウォッチャーの千田まりが、
なんと現場に落ちていたという「凶器」を持ってやって来る。
ディクスン・カーの名作になぞらえた四つの事件──狂気に、
変態数学者ならではの超絶思考で挑む!


本文から少しだけ


「というわけなんだ。完全に意表を突かれてしまったが、実りの多いフィールドワークだったよ」
 増田助教授は私たちの前で昨夜の追跡劇を熱く語ってくれました。私たちといっても、研究室には助教授以外、ふたりしかいません。千田まりさんと私だけです。ただでさえ春休みで帰省中の学生が多いうえに、増田助教授の応用数理学教室は学内でも最も人気のない研究室のひとつなのですから、しかたがありません。
 千田まりさんは綾鹿科学大学の理学部生物学科を優秀な成績で卒業したあと、大学院では応用数理学を選択された変り種です。大学の専攻だった動物生態学(南米のカエルの警告色について研究されていたそうです)に見切りをつけ、もっと人間の本質に迫りたいという動機で、増田助教授に師事する決心をしたそうです。大なり小なりピントの外れた学生が数名いるだけの応用数理学教室の中では、一頭地を抜く才媛と呼んでも差し支えないと思います。
 その才媛が歯に衣着せぬことばを投げかけました。
「先生、それって犯罪じゃないですか。そんなに長い時間女性のあとをつけ回すなんて、変態ですよ」
「変態で結構。私は自分の性格を十分に認識しているよ。興奮しなければ頭がうまく回転しないのだからしかたない。大丈夫、犯罪に走ったりはしないから、な、クロ」
 助教授が私に同意を求められたので、それに応えました。私の名前はマクロリンコスといいます。日本人ではありません。千田さんのように正式な学生というわけではなく、研究生のような待遇で昨年から助教授のお世話になっています。
 私の本名が長くて日本人には発音しづらいようで、皆さまからは「クロ」と呼ばれています。最初は私の肌の色と本名のマクロリンコスを掛けて、「真っ黒くろすけ」と呼ばれていたのですが、さすがにそれは差別に当たるのではないかと千田さんが主張されて「クロ」に改められました。私としては別段どちらでも構わなかったのですが、呼称は短いほうが便利というのは事実でしょう。
「昨夜の場合、先生の行動は漸変態だといえます」
 千田さんが断言しました。
「ぜんへんたい……なんだね、それは? 私の行動の全部が変態ってことか?」
「違います。ぜんは、段々に進むという意味の漸進などに使うさんずいの漢字です」
「あ、漸近線の漸だね」
 助教授は数学用語ならばすぐに理解できるようです。これに対して才媛は生物学用語の説明を続けました。
「漸変態は不完全変態ともいいます。昆虫が幼虫から蛹を経ずにいきなり成虫になるような変態のパターンのことです。カマキリとかゴキブリを思い出してもらえれば、よくわかると思います」
「成虫のミニチュア版が脱皮のたびに徐々に大きくなっていくやつだな。つまり昨夜の私は突然変態したのではなく、少しずつ少しずつ変態していったというわけか」
 助教授はそう呟くと、しきりに頷いています。
「なるほどうまい比喩を使うね。漸変態した私にも昨夜の女性の行動の意味はわからなかったのだが、きみにはわかるかな」
 投げかけられた問いには必ず答えを出す、というのが千田さんの信条です。
「結局、コンビニL薄谷公園店を最後に、今中さんは帰宅しちゃったわけですよね」
「ああ、最後のコンビニでサラダとヨーグルトを買った瞬間に、彼女の深夜の散策は終わりだとわかったよ。どう考えても、それは翌朝の朝食だからな」
 助教授は確認のためにそのあとも女性を追跡したそうです。コンビニLのレジ袋を提げた女性は、薄谷中央公園から歩いて数分のところに建つ瀟洒なワンルームの賃貸マンションへ入っていき、エレベーターに乗りこみました。エレベーターが三階で止まったのを確認した助教授がマンションの外から見あげていると、三階の右から二番目の部屋の照明が点き、件の女性がカーテンを閉めるために窓際に姿を現しました。助教授はマンションの郵便受けの名札を確認し、女性の名前――今中ミキを知ったわけです。
「なぜまっすぐに帰らずに、長々とコンビニ回りを繰り返したのか……その時間まで家に帰れない事情があったのではないでしょうか。例えば友達に頼まれて、逢瀬の場所として自分のワンルームマンションを提供していたのかもしれません」