M  Y  S  T  E  R  Y    L  E  A  G  U  E


軽ハードボイルドにしてコージー
そしてもちろん本格推理!
タフでクールになりきれない
ヴァンパイア探偵シリーズ書き下ろし!
装画はなんと谺健二さん!

柴田よしき

『クリスマスローズの殺人』

四六判上製本
256頁
1680
円(税込)

寂しい年末の懐をあたためようと引き受けた
なんの変哲もない浮気調査……のはずが
交換殺人? 死体消失? ミッシングリンク?
おいおい。「ってなんでこうなるわけ?」


本文から少しだけ

 メグは文字通り頭を抱えて請求書の束を睨んでいた。いくらそうしていても何も解決しないのは充分にわかっているが、かといって、どうすれば解決できるのか他にアイデアも浮かんで来ない。私立探偵として仕事を始めて以来最大の、経済的ピンチであった。
 怠けていたわけではないし、腕が悪いと評判がたって仕事が来なかったというわけでもない。私立探偵業界は過当競争の時代に入り、事務所の濫立でどこも経営は苦しいのが実情だが、探偵の数は不足している。私立探偵に調査を依頼することが特別のことだった時代は去り、今は、家庭の主婦でも学生でも気軽に電話して来るので、仕事の数は増えているのだ。大手の事務所でも人手が足りなくなれば個人事務所を開いているメグのような一匹狼に下請けを要請して来るので、日銭を稼ぐだけだったらなんとかなるのである。
 が、思いがけない出費というのは、思いがけない時にやって来る。当たり前である。当たり前だが、何しろ予定外のことなので、やって来られるとどうにもならなくなる。
「なんでぶつけたかなぁ、車」
 メグは、考えても仕方のないことをまた考えていた。
「酔ってたわけじゃないんだけどなぁ。疲れてたんかなぁ。普通ならファミレスの駐車場で柱にぶつけたりしないもんなぁ」
 自分を慰めるように声を出して言ってみたが、支払った四万八千円は戻って来ない。五万円を超えていれば保険がつかえたのに。
「それに、突然壊れるなんて詐欺だよなあ」
 今度は目の前にある真新しいFAX電話に照準が移る。
「セコで買ってからまだ四年だよ、たった四年。四年でいきなり壊れたりするかなぁ。直して使いたいって言ったのに、修理費より買い替えた方が安くつきますよ、なんて言うんだからあのサービスショップの店員。ほんとなのかなぁ、騙されたんじゃないのかなぁ」
 中古で購入した、ということは、売りに出された時点ですでに使い古されていたという事実については気にしない。気にしていては家電製品のセコは買えない。今度も中古で買うつもりで秋葉原まで出掛けたのに、最近はFAX電話も普及し過ぎたせいなのかダンピングの嵐で、新品でも中古でもさほど値段が違わなかったので新品を値切って買って、二万八千円。
 さらに追い討ちをかけたのは、すっかり忘れていた事務所の賃貸契約更新料の支払い十八万円である。どうしてこんな大金の支払いを忘れていたのかといえば、更新月は実は九月でもう二ヶ月以上前に過ぎており、それなのに生来呑気な大家さんがまったく文句も言って来なければ請求書も送って来なかったせいだ、とメグはぶつぶつと文句を言い続けているのだが、契約書にはちゃんと更新月が九月で二年毎、と明記されていたわけなので、忘れていたメグにも落ち度はある。が、しかし、請求がなければ払わなくていい、というのはこの国の商取り引きの基本。従って、そのまま大家さんがずっと忘れていてくれれば何も問題にはならなかったのだが、さすがに呑気な大家さんでも、年の瀬が近づいて来ると、今年一年で何かやり残したことはなかったかしら、と考えるものらしい。とうとう請求書が配達されたのが十二月十日。それから一週間以上ぐずぐずと考えていたメグが、いくら考えたって払わないとならないものは払わないとならない、と結論して払ったのが一昨日だった。ここまでで、予定外の出費が二十五万六千円。これはほぼ、メグの平均月収に相当する。つまり今月は、今まで働いて得た分の利益がまるまる支払いで消えてしまったことになる。これではピンチになるのも当たり前なのだが、それでも普通の人には貯金というものがある。この長引く不景気で、どの家庭でも貯金額は激減していることとは思うが、それでも三十を超えて一人で働いて暮している人間ならば、いざという時のために少しは貯金らしきものを持っているはずである。もちろんメグにも貯金はある。しかしそれを遣ってしまうことができるくらいなら、こんなに悩んだりはしない。毎月、ぎりぎりの経済状況の中から少しずつ金を貯めたには貯めたなりの理由があって、目的がある。なんとかその金に手をつけずにこの年末を乗り切る方法がないだろうか。呻吟したりぶつくさと文句をたれたりしながらメグが考え続けているのはそのことなのである。
 月末までに入って来る予定の金は、先月の助っ人調査の日当合計七万円と、昨夜調査報告書をしあげたばかりの浮気調査費用二十万円のみ。支払わなければならない金は、事務所の家賃九万円とアパートの家賃五万五千円に、調査アルバイトに雇ったフリーター三人へのバイト代支払い計十二万六千円。それに、事務所とアパート双方の光熱費だの電話代だので、ざっと三万円はかかる。駐車場代が二万円。足りない。何度電卓を叩いても五万一千円足りない。普通預金通帳の残高は一万二千数百数十円、これを入れても三万九千円足りない。それに月末まで水だけ飲んで暮しているわけにもいかないし、そんなのはイヤだし、食費だのもろもろの雑費も考えれば、最低でもあと五万円はないと生きていかれない。これから十日間で調査の仕事をすればなんとかなるようにも思えるのだが、前金・手付け金の類いは受け取らないのをセールスポイントにしている以上、個人客から調査費用を支払ってもらえるのは調査が終了してからということになるし、助っ人日当も翌月払いが普通なのだ。
 あああ。
 やっぱり、定期を崩す以外にないんだろうか。
 メグは机から顔をあげ、部屋の片隅にちょこんと付いている流し台に向かった。頭が煮えた時はカフェインで喝を入れる、これに限る。
 濃いめにいれたコナ・コーヒーの香りで、いくぶん頭がすっきりとした。解決策もなんとか浮かんだ。結局、足りない金は借りるしかないわけで、それも利息がつかない借金がベストなのだ。
 メグは事務机に戻り、高原事務所の番号をプッシュした。真新しい電話器なので、つるんとしたプッシュボタンの感触が楽しい。
 電話に出るのはいつもバイトの女の子で、名前を名乗って所長をお願いしますと言えばすぐに繋いでくれる。高原事務所の仕事は二、三ヶ月に一度くらいは手伝っているので、バイトも名前を憶えていてくれるのだ。
「お金?」
 高原咲和子は、挨拶の言葉を交わしただけで図星をついた。
「どうしてわかるの?」
 メグが驚いた声を出したのがよほどおかしいのか、咲和子はけらけら笑う。
「だって年末じゃない。年末に、フリーの調査員が直接あたしに電話してくるっていえば、お金のことって決まってるのよ。どうしてなのかしらね、ボーナスなんて貰えない自営業だってことはわかってるくせに、みんな、ボーナス併用払いにするのよねぇ、ローン。それでこの時期になると、支払いで首がまわらなくなるんだから」
「ローンじゃないんだけど」
「わかってる。あんたはアパート暮しだものね。車はボロだし家にはろくな家電もない。洋服はユニクロでブランドバッグも持ってない。ローンにするほど高いもんなんて買わないものね」
「ほっといて。あたしだってたまには贅沢ぐらいするもん。ともかく、ちょっと足りなくなっちゃったの」
「貯金崩せばいいじゃない。あなた、例のもの買うのにお金貯めてるんでしょ?」
「だから、それをしたくないのよ。一度しちゃったら際限なくなりそうで」
「まあそれは賢明かもね。貯金って、少しでもおろして遣うとあっという間に消えるからね。で、いくら足りないの?」
「来月の半ばまでの生活費こみで十万、ってとこ」
「そのくらいなら、依頼人から前金貰えば?」
「うち、前金・手付け金ゼロが売りなんだもの。ね、前借りとは言わない、トッパライで払ってくれる仕事、ないかな」
「前貸しでもいいわよ、十万くらいなら」
「仕事があるなら仕事したいの。昨日で抱えてた調査は全部終わったから、年末にかけては飛び込みの個人客が来れば別だけど、他は予定が入ってないのよ」
「でも長期はだめでしょ?」
「うん……できれば短いのがいいな。自分とこの事務所もずっと閉めとくわけにいかないから」
「ふん、と」
 咲和子がガサガサと何か紙類をいじる音が受話器から伝わって来る。
「そうねぇ……さっきも言ったけど、この時期、日銭稼ぎたいってフリーの調査員が多くて……あ、これなら短くて済むな。素行調査なんだけど、とりあえず三日間でいいみたいなのよ」
「素行調査にたった三日? どういうこと?」
「要するに浮気調査ってことね。亭主が韓国に出張してる間に奥さんが何やってんのか調べて欲しい、って。出張は今夜からだから、メグ、これまわしてあげようか? 二十四時間調査になるから応援はうちで用意するけど、あんたがメインでやってくれるなら、貰った手付けのうち半額は、今日にでも渡せるわよ。依頼人は夕方の飛行機で韓国に向かうんで、会社から一度自宅に戻って、自宅を出るのは午後二時くらいの予定。依頼人が自宅を出てから調査開始、明々後日の夕方、依頼人が帰宅した時点で調査終了。一時に飯田橋に来られる? 助っ人と打ち合わせして、直接、依頼人の自宅に向かってもらえばいいから」
 もちろんメグは承知した。
 やっぱり困った時は咲和子に頼むに限る。受話器を置いて冷めかけたコーヒーを啜る。
 冷めかけていたって、本物のコナ・コーヒーはやっぱりおいしい。 最大の心配事だった金の問題に解決のめどがたった今、おいしさ倍増である。