M  Y  S  T  E  R  Y    L  E  A  G  U  E



カカシ様は いつでも 見ている
悪巧みも隠し事も、人死にも……

三津田信三
『厭魅(まじもの)の如き憑くもの』

四六判上製本
464頁
1995円(税込)

憑き物筋の「黒の家」と「白の家」の対立、
「神隠しに遭った」ように消える子供たち、
生霊を見て憑かれたと病む少女、
厭魅が出たと噂する村人たち、
死んだ姉が還って来たと怯える妹、
忌み山を侵し恐怖の体験をした少年、
得体の知れぬ何かに尾けられる巫女――。
そして「僕」が遭遇した、恐るべき怪死を遂げてゆく人々と謎の数々……。
奇才が放つ、ミステリーとホラーの禍々しい結晶、ついに昇華!


本文から少しだけ


 
 はじめに

 この文章に目を通している読者の暮らす世界が、昭和何年になるのか僕には分からない。もしかすると新しい元号に変わっている可能性もある。そういう意味では、西暦何年なのかと改めた方が良いのかもしれない。
 ただ、読者がこれから知ることになる以下の極めて特殊なある世界も、それがいつの時代なのかは漠然としているはずだ。なぜそんなことを意図したのか、それは本文を読み進めて貰えれば追々理解して頂けると思う。また、少なくとも今回のような全国規模の市町村合併が実施されて、ある地域の名称が消滅でもしない限り、僕がこの原稿を発表する意思がない理由も、恐らく分かって貰えるのではないだろうか。
 こういった用心は、この原稿のような内容を小説として記す者としては当たり前で、そこに特別な困惑を覚えることはなかったが、どのようにあの出来事をまとめるべきか、それにはほとほと悩まされた。自らの取材ノートだけでなく、入手した関係者の日記や医師の業務日誌、後から書き起こして貰った記述録など資料には困らなかったのだが、それを効果的に扱うにはどうするべきか、それについては非常に苦慮した。
 僕自身がその渦中に飛び込む格好で関わった経緯もあり、最初は「僕」の一人称で書きはじめた。だが、それでは自分が見聞した事実しか記せない。数多の奇っ怪な出来事そのものを描写することは無理である。そこで次は三人称に変えて、しかも完全なる神の視点から物語る方法を取ってみた。これであれば作者は自在に、どんな場面であろうと誰の心の中であろうと記すことができるからだ。
 ところが、それではあの異様なほど禍々しい雰囲気を、とても読者に伝えることができないと分かった。当事者の日記や記述録が醸し出す生々しさを再現することなど、自分には到底不可能だと思い知らされた。
 神々櫛村――
 この独特の音の響きを持つ村名を口にしただけで、この特徴的な字の表記を目にしただけで、今でも僕は戦慄を禁じ得ない。それは恐らく、紗霧が、漣三郎が、千代が、それぞれが体験した忌まわしい出来事を本人たちから直に聞いているためであり、自分もあの場にいて実際に異様な経験をしているからに他ならない。
 憑き物筋の谺呀治家と非憑き物筋の神櫛家という対立する二つの旧家、神隠しに遭ったとしか思えない不可思議な状況で消える子供たち、因習の儀礼で逝くと山神様になると説く老婆、生霊を見て憑かれたと病む少女、厭魅が出たと噂する村人たち、死んだ姉が還って来たと怯える妹、忌み山を侵し恐怖の体験をした少年、得体の知れぬ何かに尾けられる巫女――。
 そして僕が遭遇した、あの何とも言えぬ不可解な状況下で、次々と恐るべき怪死を遂げてゆく人々に纏わる気味の悪い謎の数々……。
 これらの悍ましい事件を完全に咀嚼して一個の物語として紡ぐ、という執筆作業に取り掛かった途端、たちまち途方に呉れてしまった。
 行き詰まった僕は、しばらく悶々とした結果、ようやく入手した資料を活かしつつ、それだけでは足らない部分を小説として書き起こすという、そんな混合方法を思い付いた。ただし、日記や記述録には手を加えないと説明不足であったり、差し障りのある描写も存在していたため、ある程度の――箇所によっては大幅の――加筆修正を行うことにした。もし、それによって原文の持つ味が損なわれたとしたら、その全ての責任は作者にあることを断わっておきたい。
 この文章を書いている今、僕の脳裏にはあの村で知り合った人々の姿が、次から次へと浮かび上がっている。原稿をまとめることで彼らと再会できるのは楽しみだったが、あの一連の怪異を再体験するのかと思うと、正直なところこのまま筆を置きたい気持ちに駆られている。
 この物語を最後まで書き上げることができるのかどうか、今の時点では、それは僕自身にも分からない。何ものかの邪魔が入らないとも限らないのだから……。              

                                 とある昭和の年の弥生に  東城雅哉こと刀城言耶記す