M  Y  S  T  E  R  Y    L  E  A  G  U  E


いったいその時なにが起こっていたのか
もつれた糸を解きほぐす
純粋論理が
たったひとつの真相を
物語からあぶりだす

霧舎 巧

『名探偵はもういない』

四六判上製本
380頁
1890円(税込)

ちょっと待ってちょ

山間のペンションで続けざまに起こった不可解な連続怪死事件。
「かの名探偵」は、被害者たちの部屋に残された物象を丹念に読み解き、
そして試行錯誤と推論を積み上げてゆき、やがて真相はほの見えてくるのだが……。
二転三転するスリリングな「推理」の醍醐味を味わいつくし、
さらには 「読者への挑戦」もある本格推理の意欲作!


本文から少しだけ

5 きつねそばの問題  

 それは後動にも見覚えがあった。厚手の、黒い瀬戸物の器だ。
「これは、昼に食べたきつねそばの……」
 近づくと、一杯はツユだけ残して平らげられ、一杯は全くの手つかずだった。麺はのび切ってしまい、汁を吸収して随分と太くなっている。
 なるほど、一人に一杯ずつ行き渡ったきつねそばが、ここに二杯ある。これは二人の人間がいたことの証明ではないか。後動はエルの判断を仰ぐために、昼食時の出来事をかいつまんで語って聞かせた。
「これは割り箸というものですね?」
 しかし、最初の質問はそんな興味本位のものでしかなかった。
「物珍しいのはわかりますが、検証を続けましょう」
「何を言っているんですか、後動さん。これは重要なことですよ」
 エルは割り箸から話題をそらさない。
「琴沢婦人が誰かと一緒に食事をしたのなら、どうして一つは手もつけられていないのですか? 箸を割ることすらされていない」
 外国人は割られていない木の箸を手に取った。
「二人の人間がいて、二人分の食事がある。それなのに、一人しか食べていない。もう一人の人はお腹がすいていなかったのでしょうか? 違いますね。それだったら、最初から食事をオーダーしなければいい」
 昼食は希望者だけが食べる制度だということは、たったいま後動が伝えた情報だ。エルは即座にその点を推理に取り入れたのだ。
「確かに、別料金を払ってまで食べたくないものを注文する必要はありませんね。オーダーもきちんと一人一人に取りにきたから、そのあたりの事情を知らずに頼んだ客はいないはずだ……」
 一応の納得を見せながらも、後動は別の見解を示した。
「相手に遠慮して、手をつけなかったとは考えられませんか。これは日本人特有の行動様式ですが……」
《遠慮》という発想が外国人にあるとは思えないが、あえて言ってみた。
「これはこれは……日本人である後動さんらしくない洞察ですね。ぼくの知っている日本人なら、相手に遠慮している場合、食事に手をつけなくても、箸を割る行為はしたと思いますが」
「会食の相手が琴沢里子に恐怖していたらどうです? もともと彼女は恐喝者なのですから、部屋に呼ばれたのはその被害者で、緊張と畏れから、とても食べ物など喉に通りそうもなかった。だから、箸さえ手にしなかった……」
「朝食の時もそうだったのですか?」
「え」
「だから、朝食の時にも、そのような精神状態で食事の出来なかった人がいたのですか?」
 後動は首を振らざるを得なかった。
「朝は何ともなくて、昼になったら急に食欲も失くすほど畏怖心を抱いたというのは説得力に欠けますね。まして、その間には木岬さんが彼女とやりあって、被害者のみなさんには救世主が現われたような心強さが芽生えていたのでしょう? 希望の光が見えこそすれ、今まで以上に彼女を恐れる要素はなくなっていたんじゃありませんか」
「それじゃあ、部屋に呼ばれたのは、朝食の席におらず、木岬さんとのやり合いを見ていない人物……」
「該当者はいますか?」
 いいえ、と後動が答えるよりも早く、エルは言葉を重ねた。
「第一、どうして食事を取ったのが琴沢婦人で、箸さえ手にしなかったのが来客のほうだと決めつけるのです?」
 全く予想外の考え方だった。
「逆だって言うんですか? 食べなかったのが琴沢里子で、食べたのが来客のほうだと?」
「いいえ」
 エルは楽しそうだ。