M  Y  S  T  E  R  Y    L  E  A  G  U  E


歴史ミステリーの奇術師が放つ
新たなる伝説!
衆人環視のなか
幻のように消えた暗殺者の謎

小森健太朗

『ムガール宮の密室』

四六判上製本
270頁
1680
円(税込)

ムガール帝国の重臣が衆人環視のなかで殺された。
事件当時、誰も逃げ出せないはずのエリアにいたのは王位継承者の王子。
次代の王が殺人容疑者となる異常事態のなか、
宮廷に出入りしていたひとりのスーフィーが異議を唱える。
彼の示した道≠たどり、不可能状況に光りがさし、 王子の容疑は晴れたのだが、
皮肉にもそのために帝国は闇へ向かってゆく……。
本格ミステリーとムガール帝国の王位継承事件を融和させた書き下ろし長編。


本文から少しだけ


       *

 ダラーがサルマッドに宛てた書簡

 ダラー・シコーは古典インド教典の翻訳の業績のみならず、長大な思想書を著し、膨大な著述をなしたことで知られるが、その大部分が散逸し、今日ダラーの書いたもので伝わるのはごく僅かである。彼と親しかったサルマッドもまた、数万の詩を詠んだという伝承があるのに、今日彼の名で伝わるのは、およそ三百ほどの四行詩だけなのと、事情が似ていると言えるかもしれない。
 親しい師弟関係にあった両者の間には、盛んな手紙のやりとりもなされていたが、その全てが散逸して今日に伝わらない。ただ例外として一通だけ、ダラーが身に覚えのないサドゥラー殺害の容疑を受けたときに、サルマッドに送った書簡は、その一部が今日にまで伝わっている。その手紙が書かれたのは、西暦で一六五七年頃と目され、アウラングゼーブが反乱を起こす直前の時期と推定されている。
 その手紙は以下のようなものである。
「わが教師にして導き手よ。  毎日あなたに敬意を払うことを欠かしません。しかし私の祈りは不完全なままです。もし私の祈りが充分なものなら、この報いのなさは何故でしょう? もし私の祈りが不充分なら、どこに欠陥があるのでしょう? あるいは誰にその責任があるのでしょう? イマム・フセイン(サドゥラー=カーン)の殺害が神の意志によるものなら、その仲介をなしたヤジドとは何者でしょう? もしあの殺害が神の意志によらないとすれば、「神はその欲するところをなし、その意欲するところを実現する」という言葉の意味はどうなるのでしょう? 最も卓越した預言者は、常に不信者たちと戦っていました。しかし、イスラム軍に敗北がふりかかりました(何故でしょう?)。神学者の中には、それが神の意図する教育だと言うものがいます。だとすると、神にとって、いかなる教育が必要なのでしょう?」
 それに対するサルマッドの返事は、以下の二行だけ今日に伝わっている。
「私たちは何を読み何を学んでも全て忘れてしまう。
 ただ繰り返し学んだ、親愛なる者の教えを別にして……」
 このサドゥラー=カーンの殺害事件は、ダラーが殺人の容疑を受けた歴史的な事件であり、その解決に貢献したサルマッドの名を高めた事件でもあった。しかし、同時に、ムガール帝国を再び戦乱の渦中へと巻き込む引きがねとなった事件でもあった。

     *

 ダラーがサドゥラー殺害の容疑を受けたのは、部屋の位置状況と見張り兵の証言に依拠している。サドゥラーは、正午のほんの少し前、ランジート脱走を知らせに来た複数の衛兵によって、生存しているのが確認されている。その時点で、その部屋には、サドゥラー以外に在室していた者はいなかったとの証言もある。ただし、衛兵は、部屋の中を一瞥しただけなので、サドゥラーが意図して客人を匿っていたらわからなかったかもしれないと付け加えられている。
 サドゥラーの死体が発見されたのは、正午を二ゲリー半過ぎた時刻(午後一時頃)、ランジート捕獲をサドゥラーに告げにきた衛兵によってである。サドゥラーは正午頃には生きている姿が番兵によって確認されているので、彼が殺害された時間帯は、その二つの証言によってほぼ、正午からの二ゲリー半(一時間)ほどの時間に限定される。
 その間、少し離れた西側の場所で、番兵たちがサドゥラーの部屋も見える位置で見張りをしていた。
 その問題の時間帯の間、その見張りの番兵たちが、一人だけサドゥラーの部屋へ立ち入った人物がいるのを確認している。普通に考えれば、その人物がサドゥラー殺害の実行犯に違いないはずだが、その人物が向かった先は、別の場所にたっていた番兵の証言からすれば、本館ではありえない。したがって、その人物が行った先は、ダラーの部屋しか考えられない――単純化すればこのことが、ダラー告発の根拠となっていた。
 その時間帯、サドゥラーの部屋に出入りする通路を見張っていた二組の衛兵が、それぞれに証言をしている。(別図参照)。