VINTAGE MYSTERY SERIES


論争を巻き起こした
巨匠最大の問題作!

カーター・ディクスン
森英俊=訳・解説


『殺人者と恐喝者』

四六判上製本
320頁
2100
円(税込)

「殺人者」と「恐喝者」が同居する
フェイン家で起こる不可解な事件の数々。
奇術的世界と「ある仕掛け」を
ヘンリー・メリヴェール卿が喝破する!


本文から少しだけ

 真夏のある晩、グロスターシャー州のチェルテナムで、アーサー・フェインはポリー・アレンという名の十九歳の少女を殺害した。
 それは認められた事実であった。
 彼のほうは単なる遊びのつもりだったが、相手はすっかり夢中になってしまい、ふたりの関係を奥さんにばらしてやると脅迫したばかりか、結婚してほしいといいだす始末だった。チェルテナムでは、だれもが恥ずかしくない生活を送らねばならない。とりわけ、フェイン・フェイン・アンド・ランドル法律事務所の長であるアーサー・フェインはそうあらねばならなかった。
 そこで彼は、ヴィッキー・フェイン、ヒューバート叔父、それに使用人ふたりが外出した晩を見はからって、くだんの少女を家に招いた。彼女は秘め事を期待してこっそりやってきて、自分のしてきた人絹のスカーフで絞殺されてしまった。アーサー・フェインは夜の闇にまぎれて死体を車に押し込み、レックハンプトン・ヒルまで車を走らせると、そこの古い採石場のそばに死体を埋めてしまった。
 ポリー・アレンは街から街へと渡り歩いてきた素性のはっきりしない女性で、世間並みの生活を送ってはいたものの、家族もこれといった友人もいなかった。行方を気にかけるような人間はほとんどだれもいないように思われ、事実、そのとおりだった。彼女の殺害事件はこんにちにいたるまで未解決のままで、一般にはそんな出来事があったことすら気づかれていなかった。
 だが、ふたりの人間がそのことをかぎつけていた──アーサーの叔父のヒューバートと、妻のヴィッキー・フェインである。前者はそれが起きた直後に、後者はしばらくたってから、そのことを知った。
 ヴィッキーの場合、それは徐々に高まっていく恐怖と共に訪れた。彼女は人好きのする快活な美しい女性で、夫の三十八歳に対して、まだ二十五歳にしかなっていなかった。結婚してから二年が経過していたが、この事件が起きる前からひそかに、夫をはげしく嫌悪するようになっていた。
 発見は断片的にやってきた。殺人のあった翌日、ヴィッキーはポリーの名前の縫いつけてあるハンカチが客間の安楽椅子のクッションの後ろに押し込まれているのを見つけた。使用人たちの目に留まってはいけないと思い、彼女はそれを燃やしてしまった。しばらくしてから慎重に調べてみた結果、ポリーが街を離れたらしいということが判明した。だとすれば、行きずりの浮気だったのだろう。ところが、蒸し暑い晩が続くうちに、アーサー・フェインが月の光に照らされながら寝言をいったのだった。
 ヴィッキーは暗闇で顔面蒼白になりながらそれに耳をかたむけた。真相をぜがひでも知らねばならなかった。七月十五日の晩を境に家内での扱いががらりと変わってしまったことからして、ほかにもこのことを知っている人間がいるのは確実だった。
 そう、ヒューバート・フェインだ。
 ヒューバート・フェイン叔父は四月に彼らの元にやってきた。
「なあ、あたりを見て回るあいだ、ちょっとだけ置いてくれんか」といって。どうやら“植民地”からイギリス本国に戻ってきたということらしい。相当なお金を持っていると思われていたので、アーサーももろ手を挙げて歓迎した。だが、五月の終わりになっても依然としてまだ居座っており、住まいを見つける気配もいっこうになかった。夫妻とプラウ・ホテルに寄った際にも、自分ひとりがごちそうになった。
 それどころか、「なあ、おまえ、小切手を現金化するまでだよ」といって、一ポンド、二ポンドと、ことあるごとにお金を借り始めた。六月に入るころには、アーサーもすっかりうんざりしてしまった。七月になると、ヒューバート叔父に出ていくよう最後通牒をつきつけるところまでいっていた。だが、七月十五日の晩が状況を一変させたのだった。
 そのあと、ヒューバート叔父は正面の芝生に面した側の日当たりのいい寝室に移された。借金の回数もますます増え、夕食にあれが食べたいとアーサーにいおうものなら、ヴィッキーはたちまちそれを用意させられた。
 こう書き記すと、ヒューバート・フェインはいかにもありきたりの恐喝者のようだが、実際にはそうではなかった。ヴィッキーもほかのみんなも、この男のことが憎めなかった。ヒューバート・フェインは五十代で痩せぎすの、人目を惹く存在で、白髪まじりの頭をしていた。ヴィッキーには老練な悪党だということが前々からわかっていたが、控えめで押しの弱い、どちらかというと心の優しい悪党といってもよかった。いつでもうすいグレーのぱりっとした服装に身をかためている。旅慣れた読書家であり、マナーも申し分なかった。言葉を選び、美辞麗句を駆使したしゃべりかたをしたが、話の内容はおもしろかったし、機知にもあふれていた。
 チェルテナムの退役軍人たちのあいだでさえ受けはよかった。彼はこれらの人々に接する際、いうならば下士官が大佐に接するときのような、深い尊敬の念を示した。みずからの軍隊での階級や所属部隊にふれることなく、彼自身も数々の戦闘に加わった──もちろん、みなさんほどではないが──と巧みににおわせ、彼らの手柄話にも賞賛の言葉を惜しまなかった。
「いいやつじゃないか」というのが彼らのくだした結論だった。「ふむふむ、悪くない」
 やはり、ヒューバート叔父は知っていた。ヴィッキーが詰め寄ると彼はそのことを認めたものの、自分の身を危険にさらすようなまねはしなかった。
 これら一切が明らかになった午後のことをヴィッキーは忘れることができなかった。それは八月も終わりに近い蒸し暑い午後のことで、窓という窓は開け放たれているにもかかわらず、空気はそよとも動かなかった。彼女は家の奥にある客間(ポリー・アレンが絞め殺されたところ)にヒューバートと共に座り、窓越しに赤いバラの咲き乱れる庭を見ていた。
 ヒューバート叔父は彼女の向いに座り、大きな鼻の下に愛想のいい笑みを浮かべていた。
「でも──殺人だなんて!」ヴィッキーが声をひそめるようにいった。
「しーっ!」とヒューバート叔父が説き伏せるようにいったが、彼自身も心おだやかでなかった。
「たしかに思慮に欠ける行動だった」彼は認めた。「そう認めざるをえん。だが、なんとしても事実は事実だ。こういったことは往々にして起きるものなのだよ」
 ヴィッキーは困惑の色を浮かべて相手を見た。
 茶色の髪に青い瞳、がっしりした身体をし、野外での運動を好む彼女は、どこにでもいるような中流階級の上の部に属す若妻といってもよかった。良妻で、アーサーの屋敷をきちんときりもりし、使用人たちともうまくやっている。事実、心にひっかかっているこの事件のことさえなければ、すべてが順調だといってもよかった。
 ヒューバート叔父が咳ばらいをした。
「なあ」と彼は言葉を続けた。「この件をアーサーとおだやかに話し合ってみたらどうかね。そうすれば──」
「話し合うですって? こんな話を持ってあのひとのそばに行くのすらいやです!」