VINTAGE MYSTERY SERIES


『伯母殺人事件』の奇才が放つ
前代未聞の法廷劇!

リチャード・ハル
森英俊=訳・解説


『善意の殺人』

四六判上製本
280頁
2310
円(税込)

嫌みな嫌われ者の富豪が列車の中で、かぎ煙草に仕込まれていた毒で殺された。
誰がどのタイミングで疑われずに毒を仕込めたのか、
数々の証言によって「被告」の前で明らかにされてゆく。
はたして「被告」は真犯人なのか。
ところが「被告」の名前は最後まで明かされない。
関係者の中のひとりであるには違いないのだが……。
『伯母殺人事件』をもしのぐ、奇才ならではの技巧に満ちた傑作登場!


本文から少しだけ


 フェンビーは静かに口笛を吹いた。だれかがほんとうにこんなに慌てていたのだろうか? それとも、とてつもなく不注意だったのか? 検死の結果、心臓麻痺による死ということが証明されるだろうと、だれかがたかをくくっていたのか? 彼はいま手元に届いている検死結果に注意を向けた。
 死の徴候はたしかに、青酸カリ中毒時のものと心臓麻痺のときのものに完全に一致している。ガーディナー医師の手に入れたかぎタバコのサンプルがなかったとしたら、死が自然死以外のなにかによるものだと主張するのはひどく困難だったろう。さもなければ心臓麻痺というのはかなり説得力のある説明だったろうが、それがある以上は──そう、その説明はもはやほとんど成り立たない。フェンビーはおのれの考えがとりとめなくなっていることに思い当たり、みずからの仕事に専念せねばと思った。ほかのこともすべてさきほど完成させたメモくらい示唆に富んでいればいいのだが、それは望みうすというものだった。
 三つめと四つめのメモには、自分たちの行動についてのノックス・フォースター嬢とレイクスの簡潔な供述が記載されていた。それらはかなり内容のとぼしいメモだったが、それらの検討に入る前に、ヨックルトンのがまったくないことが彼の注意を惹いた。スコットニー・エンド館を訪問していたときをのぞけば、彼がなにをしていたかはまったく説明がなされていない。それに、司祭館はスコットニー・エンド館の目と鼻の先にある。フェンビーはふたたびメモ用紙を手にとると、そのうちの一枚に「要調査」と見出しをつけ、そこに「一、その日の残りのヨックルトンの行動」と書き記した。続いて、そうするかどうかさだかでないという彼自身の疑念を表すために、かなり薄めの字で「二、その日の早いうちに、マクファーソンがラーキングフィールドからやってきてまたそこにとって返すことができたかどうか、検討のこと」とつけ加えた。彼はそれからまた、三つめと四つめのメモに戻った。
 ノックス・フォースター嬢の行動に関する記載は簡潔で要領を得ていた。「九時四十五分:書斎にて手紙を書きとめる。十時四十五分:書斎を離れる。タイプ。花をいじる。十一時半:玄関ホールにて、カーゲートとレイクスと会話。花。十一時三十二分(ごろ):屋敷の正面にある花壇からバラを摘む。レイクスが出ていくのと入れ違いに玄関ホールに戻る。十一時三十八分:客間に行く。十二時:玄関ホールにいるときにカーゲートが戻ってくる。正午:カーゲートに呼ばれ、庭にお供。午後一時:屋敷に入り──ただちに昼食。昼食は一時四十五分に終了。それ以降の時間は、マクファーソンをラーキングフィールドへ迎えにいき、相手が二時半の約束を守ったということをのぞけば、説明がついていない。三時四十五分:マクファーソンを送っていく。午後の残りの大半を、車がなぜ動かないのかをつきとめるために費やす」
 抜けているところもあったが、カーゲート自身が書斎にいたので、その大部分──おそらく十一時半から十一時三十八分までをのぞいて──は重要でなかった。フェンビーはそれを下に置き、レイクスに関する情報のほうに戻った。
 疑いの余地はなかった。カーゲートとヨックルトンとがハチの巣を見ていた八分間に証言のくい違いが見られた。たとえばレイクスは、ノックス・フォースター嬢がバラを摘みに外に出るのをまったく耳にしていない。もちろん、執事自身が口にしたほのめかしのように、彼女の立てたどのような音も執事自身が食堂で動きまわって食事の準備をしている音でかき消されたという可能性もある。